書院の裏手にある土蔵造りの建物が「郷土資料館」。明治に入ると、新発田藩下屋敷(清水園)は藩主溝口家に移り、庭園をより安定的に管理するため、明治24年に横越村沢海の大地主・伊藤家の所有するところとなりました。 伊藤家は明治30年代に1千町歩以上の大地主となり、新発田郷の耕地集積はめざましく、その小作米収蔵庫2棟がこの園内に新築されました。
現在の「郷土資料館」は、伊藤家3棟目の米蔵として明治43年に新発田郊外の五十公野から酒蔵を移築。奥行5間、長さ16間、下屋は幅1丈1尺、長さ15間。間口4間の4戸前に仕切られ、それぞれに2,500俵、合計1万俵を収納できました。800円で買い取り、取崩運搬料300円と当時の記録に残されています。 館内には、新発田藩関係の資料、越後阿賀北の考古、民俗などの郷土資料を展示しています。 |
紫糸縅(むらさきいとおどし)甲冑
新発田二代藩主宣勝が初陣の際着用したと伝えられている。
新発田十代藩主直諒の画 直諒は石州流怡渓派から新たに越後怡渓派を興し、その祖となった人物である。茶人としての号を景山、翠濤庵といった。数々の書及び画を残している。
郷土資料館の一角に、新発田市出身で忠臣蔵の赤穂四十七士の一人として知られる堀部安兵衛武庸に関する品々を展示する伝承館を開設しました。堀部安兵衛を顕彰する「武庸会」や新発 田市、個人が所有する安兵衛ゆかりの品々を展示しています。
忠勇…岸米山画 溝口直亮贊
堀部安兵衛武庸肖像 武庸会所蔵。
ほら貝…四十七士を率いた浅野内匠頭の浅野家伝来のものといわれるほら貝
長徳寺所蔵。