
「足軽長屋」は、桁行24間、梁間3.5間、寄棟造りの茅葦屋根をもつ八戸の棟割長屋。一戸の主屋は間口、奥行3間の9坪、裏には2坪の炊事場と1坪の土間が下屋造りでついています。主屋の間取りは、半坪の入口土間、炉付の2坪半の板の間、それに8畳と4畳の2室、または6畳2室。床や書院はなく、軒高で内法高は低く、小屋組みも叉手構造のつつましい造りです。 当時の住人は、記録によると姓のあるのは1人だけで、ほか7人は名のみ。役職は御門番組・御旗指組などの小者と御綱方と、足軽以外のきわめて身分の低い家臣でした。幕末の下級武士の生活ぶりを伝える住居は、全国的にも例をみない貴重な遺構です。 昭和44年の春頃まで住居として使用されていました。現在の建物は、昭和46年に解体修理に着手、翌47年6月に完成させたものです。 |
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また、新発田市内には同様に昭和53年から55年にかけて解体された5棟の武家屋敷が存在し、その解体部材は旧赤谷中学校の体育館に保存されていますが、未だ復元の目処が立っていないそうです。 |