みどころ「建物」

見るほど、知るほど惹き込まれる。 暮らしと芸術が息づく、越後随一の豪農の遺構。

伊藤邸【主屋棟】

五代当主が1887(明治20)年に建てた近代和風大邸宅で、明治期に栄えた新潟の豪農を代表する重厚さが特徴の建物です。7段にも組まれた梁や、長さ30mの丸桁など職人の技術や部材の見どころも多くあります。 建物の表側より帳場(現・博物館事務所)、茶の間といった地主伊藤家を経営するための表(オモテ)の空間が配置されています。多く残る増改築の痕跡に、60人もの使用人を抱えていた時代の賑やかさの面影も垣間見られ、観覧用に造りつけた広い階段を上ると、女中らや伊藤家の子どもらが過ごしていた二階があります。
どこまでも続く「一本の丸桁」

●どこまでも続く「一本の丸桁」

当時、会津から切り出し運ばれた、30mにもなる天然絞りの杉を使用。

当時の姿を残す「通り土間」

●当時の姿を残す「通り土間」

伊藤邸主屋の出入口。通り土間沿いに手前から、手帳場、茶の間、台所と部屋が並ぶ。

伊藤邸【大広間棟】

約100畳に広がる巨大な書院造の大広間棟が建てられたのが、1889(明治22)年。廊下でつながっているものの主屋棟とは切り離されており、総けやき造りの大玄関が直結するなど最も格式ある間(お座敷)として年に数回のみ使用されました。 特に柱の少なさが庭園との一体感を生み、近代和風建築に特徴的な開放感があります。襖を立てると上段の間、中段の間、二つの脇座敷、そして最も天井の高い大広間に分けられます。敷居の桜、柱の杉の四方柾、廊下のけやきなど各部にふさわしい材の見立て、欄間の飾り彫りや、床がまちの木目の活かし方など、随所に落ち着いた意匠が見られます。
総けやき造りの格式高い「大玄関」

●総けやき造りの格式高い「大玄関」

お正月や冠婚葬祭、そして皇室の方が来訪された時にのみ開門される大玄関。けやきの一枚板や新発田の赤土など、格別なこだわりが見られます。

三楽亭【茶室兼書斎】

三楽、とは孟子による「君子の三つの楽しみ」という考え方に由来します。六代当主が21歳で自ら設計し、1891(明治24)年に完成。正三角形11坪の数寄屋風書院で、水屋もあり、茶室としても使用されます。一つだけある円窓は、六代当主が瞑想を行ったとされています。
三角・菱型へのこだわり1 三角・菱型へのこだわり2

●三角・菱型へのこだわり

菱形の部屋と二つの三角形の部屋から構成され、柱や畳、建具の引き出しに至るまで三角や菱形にこだわった造り。

蔵【門土蔵(正門受付)/飯米蔵(集古館)】

門土蔵 【正門受付】

飯米蔵 【集古館】

1885(明治18)年頃に造られた桁行約24m総二階建の門土蔵には、正式な門「大門」と、通常の出入口に使う「通用門」とがあります。門の左右に蔵を備えており、什漆器や古文書を保管しています。 1901(明治34)※年に造られた、米3,000俵を備蓄していた米蔵は、通気性の良い置き屋根など、大量の米を保管するための構造がみどころです。※訂正…正:1919(大正8)

常盤荘【旧宅はなれ座敷】

明治20年頃まで伊藤家が暮らしていた「旧主屋」に連結する「はなれ座敷」で、一時は番頭の住居だったことも。伊藤邸の起源であり現在も茶会や式典等で使用。

移築古民家

博物館資料として、新潟県内の刈羽と吉ヶ平から移築した二つの古民家。特に刈羽のものは、約400年前・江戸時代初期の完成された形で保存されている貴重な文化財。

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