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美しい庭園に面した南面の座敷は、本棟に遅れること5年。明治20年(1887年)から2年かけて建てられました。 東側に大玄関があり、柱・天井・式台・戸は全て欅(けやき)造りで、特に式台と戸は一枚板で、当時の建材に贅をこらした建築様式がしのばれます。 南側の雨戸は26枚あり、全て左側の戸袋に納まってしまうという見事な構造です。座敷の欄間のならびには柱が1本も無く、上から釣ってあるので釣欄間と呼ばれています。 また土縁から見上げると、長さ15間半(28.18m)の一本の杉の丸桁がありますが、これは遠く会津の付近から、いかだで運ばれてきたものです。 このように見事な座敷が使用されたのは冠婚葬祭等の年数回の特別な行事の時だけで、100畳敷の大広間と言われています。


大広間の360度の画像をご覧になれます。(QTVR)
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総欅(けやき)造りで唐破風の大玄関は、まさに「豪農の館」と呼ぶにふさわしい豪壮さを備えています。 年に2〜3回、伊藤家のお正月や冠婚葬祭、あるいは皇室の方がお越しになられた時のみに開門された、特別な玄関です。 式台と戸は、欅(けやき)の一枚板からなり、床は全て石造り。壁は新発田の奥、赤谷地区でしか採取できない赤土を使用しています。

玄関の寄付きを含めて三間続きの茶の間は、開け放すと37畳あり、南側の廊下にはこの屋敷の見どころの一つに丸桁があります。会津の三島町の山林付近から、いかだで運ばれてきた長さ16間半(30m)一本の杉の丸桁です。茶の間は当主が接客した場所ですが、それにふさわしい落ち着いた気品が感じられます。当主の家族は、いつもは板敷きの「中の間」で食事をしていましたが、12月31日の年夜の晩と正月だけは、茶の間で食事をとる習わしがありました。「上の間」には大きな神棚が備えてあります。

大広間、上段の間の床の間の裏側にあるのが「裏座敷」です。10畳と8畳の二間続きで三方が廊下のため、庭園が広々と見渡せ、かつて上段の間に迎えられる客が一時休息したところで す。
床の間、書院、床脇、そして桐と雀が描かれた欄間など明治中期の格式あふれる純日本建築の美は、百年の歳月を経て、ますます美しく、人の心を捉えて離しません。

すすけた大きな黒い梁が重なり、柱も床も黒光りして、雪国特有の豪壮堅牢な構造です。一隅に6尺(1m80cm)四方の炉がきられており、16人が一度に腰をかけることができ、雪国、越後の長い冬、使用人達は、ここで暖をとりました。当時、村には風呂のない家が多く、村人はここに来て、もらい湯をしていたそうです。コミュニケーションの場の一つになっていたようです。
台所の広さは70坪(231平米)で、西側の炊事場には煉瓦造りの大きなかまどがあります。

明治なかばの頃の伊藤家には、番頭3〜4人、家族直属の女中5人位、子供一人に乳母が一人ずつ、中奥の女中5人位、勝手女中5人、畑で野菜を作る作男6〜7人、そしてこれらを統括する女中頭、台所番頭、3人程度の大工と人足10人、石屋、鍛冶屋、瓦職人もおり、家族の他に60名近い使用人がいたと言われいます。
家族と60人の使用人の食事のために、炊かれた米は毎朝1俵(60kg)で、正月と小正月の餅が百臼、魚屋が毎日亀田から通い、酒は一斗樽が何本も運びこまれたそうです。
今は、静かな台所ですが、遠く、女中たちのざわめきの声が聞こえてくるようです。


台所の360度の画像をご覧になれます。(QTVR)

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