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北方文化博物館新潟分館の庭には秋艸道人(曾津八一)の歌碑が 建っています。
新潟分館は、出雲崎町尼瀬の西山油田の掘削によって巨万の富を得た長岡の清水常作氏が明治28年(1895年)に別宅として建設したものですが、清水常作氏の逝去後、明治末期に六代伊藤文吉が新潟別邸として取得しました。
曾津八一は、昭和21年(1946年)5月、坂口献吉氏(坂口安吾の長兄・元新潟放送初代社長)から懇願され「夕刊ニイガタ」の社長を引き受け、新潟市内での住居を同氏に依頼していましたが、当時は戦後の混乱期で住宅事情が悪く、坂口氏は東奔西走の末に伊藤文吉の持ち家である新潟別邸に白羽の矢を立て、昭和21年(1946年)7月25日から昭和31年(1956年)11月21日に75歳で永眠するまで、ここ新潟分館の邸内の洋館で暮らしていました。
建築は新潟市の玉野玉蔵氏、箱庭は後藤石水氏の苦心の作で、館内には秋艸道人の歌書、良寛の書を多数展示しています。

曾津八一は昭和3年(1928年)建築のこの洋館を、1階は書斎と応接室、2階を寝室として使用していました。曾津八一は伊藤家6代当主の弟九郎太とは中学、早稲田大学とも2年後輩で、その弟とは中学が同期で大変に親しい関係にありました。

住所:新潟県新潟市中央区南浜通2番町562
問い合せtel:025-222-2262/fax:025-222-2262

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越後蒲原平野の北部に、かつての城下町新発田があります。
初代藩主溝口秀勝が加賀大聖寺から6万石(後には10万石)で、この地に入封したのは、慶長3年(1598年)でありました。万治元年(1658年)、三代藩主の時に曹洞宗の高徳寺を近郊に移して、この地を御用地となし、下屋敷が造営されました。約4600坪(約15,200平米)の敷地に御殿が建立されたのは、棟札によれば寛文6年(1666年)4月で、その後新発田城の炎上などがあり、やがて4代重雄の時、幕府の庭方であった縣宗知を招いて庭園の築造が行われ、その完成をみたのは元禄年間の頃 といわれています。
このあたり一帯が清水谷とよばれていたので、下屋敷は「清水谷御殿」と呼ばれていました。
明治戊辰の役に際しては、数千に及ぶ領民が藩主直正の出兵を止めるよう訴願したので、直正はやむなく、この清水谷御殿に駕を留めたため、新発田藩は出兵を免れたという歴史的な舞台となった所でもあります。
やがて時は移り、昭和21年(1946年)に北方文化博物館の管理するところとなり、「清水園」と名づけられました。

住所:新潟県新発田市大栄町7丁目9-32
問い合せtel:0254-22-2659/fax:0254-22-0171

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清水園にそって流れる新発田川をへだてた路すじに、藩政時代の足軽が居住した茅葺平屋建の八軒長屋があります。
かつて、この城下には、会津街道に向かって幾棟かの足軽長屋がありましたが、現存しているのは、天保13年(1842年)の棟札がみられるこの一棟だけで、往時は「北長屋」と称し、全国的にも例をみない遺構として昭和44年(1969年)に重要文化財に指定されました。

※足軽長屋の開館時間は清水園と同じです。なお、入場料金は清水園の入場料金に含まれます。

住所:清水園となり



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伊藤家が冬季の別荘として逗子に購入したのが始まり。現在は誰でも借りること
のできるレンタルスペースとして営業しています。正面の通称「黒門」は、かの
鹿鳴館の裏門の1つを移築してきたと言われている由緒ある門です。


住所:神奈川県逗子市新宿1-4-7
ご予約・お申し込み:tel:046-871-9290/fax:046-873-5820

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